『愛と誠』映画化 三池監督に脱帽! 拍手を!  すべての出演者に拍手! 拍手を…!(2)

 そして、そして監督の三池崇史さん。
彼とはその昔、十年以上前になるかしら。今年の1月2日に急逝した主人の弟の真樹日佐夫ともども、台湾に行ったことがあったのです。主人と台湾の女性との間に娘がおり、その子が営利目的で誘拐されて、結局残酷に殺害されてしまったという悲しい事件の時でした。台湾の女性との関係は、私が主人と離婚中の出来事で、彼女は日本に二、三年いた後、国に帰って娘を産んだと聞いていました。主人の様々な黒いウワサが流れる最中、彼女は主人と数人の女優とのゴシップ種をマスコミに流して帰国してしまったのです。実名を挙げていたので、マスコミでは連日連夜、女優達を追いかけの大騒ぎでした。
 そんなテレビのニュースを入院先の病室で黙って見ていた主人の胸中を思い、後足で砂をかけていった人を気持ち良くは思えなかったのが事実です。
 やがて時は流れてゆき、台湾の事件が起きたのは主人の死後、そうあれは十三回忌の、一、二年前のことでした。その事件の犠牲者が主人の娘だということで日本でも大きく報じられていました。私は分骨した主人の遺骨と、いつも主人の指にあった指輪を台湾の女性に持って、娘の葬儀に出向いて行きました。遺骨を持っていったのは、父親でありながら名のりもせず、抱いてあげることさえできなかった娘と、せめて土の中ででもいっしょにいさせてあげたいと思ったからです。私が産んだ子ではなくとも、主人の娘に違いないのですから。
 主人の心の真実を探り、その心に添うことが残った者の役目とでも言いましょうか、私にそうして欲しいと願っている主人の心が伝わってきていたのです。娘の母親に指輪を持って行ったのは、主人の心を彼女に代弁したかったからです。
 彼女は十九歳のときに主人と知り合い、結婚して日本に来たといいます。主人は後に、クラブで歌っていた彼女を日本の映画に出演させるための手段として、空いていた妻の籍に一時的に入れたのだと語っていました。(当時は台湾と日本との関係はあまり良くなく、日本で仕事をするのは無理だったのです。)私はその話を聞きながら、主人は真実を曲げていると直感したのです。主人という人は、世間にどう思われていようとも、そういう非人間的な人ではないのです。たとえ、もっと非道な行動があったとしても、それこそ誠の部分だけには害を及ぼさない人なのです。妻の籍が空いていたから好都合とばかりに利用した等と、よくもまあ、いかにも本当らしい話を作れたものです。クラブのステージで歌っていた十九歳の彼女を初めて見た主人は、きっときっと可愛いなあと思ったに違いないのです。彼女の小さな唇から、まるで玉が転がり出て来るような歌声を耳にして、主人の心はロマンチックな夢心地を久しぶりに抱いたはずなのです。

 だから彼女を日本に連れてきた。けれど現実の生活の中では、彼女はあまりに幼く、国の違いは道徳や倫理的な違いも大きな問題だったろうし、とりわけ彼女の孤独を埋めてあげる時間も余裕もなく…二人を幸せにしなかった、と私は想像できるのです。だから、
「彼は家庭人ではなかったのです。でも貴女を愛して結婚したのだと思います。貴女の中の彼への印象を変えて欲しい。判りあえなかった悲しさはあるでしょうが、貴女は愛されていたのです―――」
と、私は伝えたかったのでした。

 そんな大変な折、殺害された主人の娘の葬儀に同行してくれたのが三池監督だったのです。弟の真樹と三池監督とのお付き合いは、その以前からだったとお聞きしていました。今でも記憶している監督のお言葉、
「尊敬する梶原先生と真樹先生との、大きな節目というか、この瞬間を今自分が同じ時に同席し体験していることに、大きな意義を感じています」
監督は違う言葉を使ったと思います。私流にへたな文章ではありますが、その時に私が受けた監督の心境を思い出して書きました。

 この人はナイーブでやさしく、男性的な理想像を探し求めている人だろう、人間という生物が好きで、最悪から最高までの間を一所懸命に生きる、人という生き物が好きなのだとう―――と、三池崇史という男性を、勝手にそう思ったのです。

 そして十余年の年を経ての再会でした。
今、日本で一番売れている三池崇史監督が描く『愛と誠』の出来映えは…?
胸をときめかせて試写の席に着いたのでした。やがて映画のストーリーは、主人の原作をゆるやかに進んでいた、と思いきや突然ミュージカル形式に変化したではありませんか!?

 こんな映画は今まで体験したことがありません。
ミュージカル形式とは言っても、出演者の方々が歌う曲は、当時に流行った、誰でもが知っている曲、たいていの人がサビの部分くらいは口ずさむことの出来る曲なのです。その時々の役どころの心境を、ぴったりと捉えた選曲が、映画を見ている者に少しの違和感も抱かせず、素直に理解できてしまうという妙なのでした。
 そして、役者さん達のなんと歌のうまいこと! その歌のうまさ、声の良さが、この映画を低俗にさせていない要因のひとつでしょうか。

 特に私が感動したのは、「誠」の母親役の余貴美子さんです。酒に溺れ、人として、母親としても堕落の底を這う身を、泥酔した彼女が腹から絞り出すように歌うのは、川島英五の「酒と泪と男と女」でした。女の悲哀の深さと生きることの重さが、真剣だからこそ身悶えていて、彼女が歌っている間中、私は震え鳥肌がずっと立ったままでした。

これを圧巻と言うのでしょう。

主人がこの作品を通して伝えたかった様々な愛の種類を、監督は十分に理解した上で、現在の若者達が納得し理解し受け入れられる手法で映像化したのだと…。
 三池監督の才能とアイディアと作品への情熱が、ひしひしと私に伝わってきたのでした。インドをこよなく愛している講談社の担当の方がいらっしゃり、何度もインドに渡り、インド舞踊も習得しているその方が、
「インド映画を見ているようで、すんなりと入り込めて、とても感動しました」と試写の終了後に伝えてくれました。そうなので。ともすれば、日本では重く暗い題材に表現されていまいがちか、またはあまりにも軽く扱われがちな愛のテーマを、三池監督は今までの日本映画の常識をくつがえす手法で楽しく、面白く、美しく、悲しく、そして切なく残酷に描いてくれたのでした。

 三池監督に脱帽! 拍手を!
 すべての出演者に拍手! 拍手を…!

梶原一騎真樹日佐夫も必ず私と同意見で、惜しみない拍手を送っていると確信しています。

ファンの皆様、一見の価値有り!
愛は人を幸せにする! これが鉄則です!!

高森篤子

●映画公開の6月16日は、この作品の実現のために蔭ながら尽力してくれた真樹日佐夫
の誕生日にあたります。最高の供養となるに違いありません。